泪橋の話
本日は南千住の過去の話。泪橋の話。
事務所近くの明治通りの交差点名に【泪橋】があります。
各地にこのような名前の場所があるので、ピンと来る人もいるかと思います。
そうです。この近くにはかつて、処刑場がありました。
罪人にはこの世との別れの場。
その家族には、処刑者との別れの場。
お互いがこの橋の上で最後の別れに泪を流したことから、この名が付けられました。
↑現在の泪橋交差点です。
橋はもうありませんが、かつては明治通りの部分が用水路でした。
明治〜大正時代に道路が作られた際に橋が無くなり、かわりに交差点の名前として残されたようです。
今では車の通りも盛んで、スカイツリーも見える場所となりました。
ちなみに、あしたのジョーでは泪橋の下に丹下段平がジムを構えていたという設定だったそうです。
そして処刑場は、小塚原刑場と言い、鈴ヶ森と並び江戸の二大刑場の一つです。
刑場跡は現在の南千住駅のすぐ西側の延命寺内に位置しており、
江戸〜明治初期にかけておよそ20万人以上の罪人がここで刑を執行されたそうです。
そんな悲しい場所であるとともに、明和8年に蘭学者杉田玄白らが刑死者の解剖に立ち合い、外国の解剖図の正確さに感嘆したという日本の医学の発展において歴史的な出来事があった場所でもあります。
そんな刑死者の供養のために建立された小塚原の首切地蔵が東日本大地震の際にズレて倒壊の危険が高くなり、現在修復中です。
過去のできごとは、今を生きているものにとっては直接的な関係は薄いのかもしれません。
でも無縁ではないと思うのです。
地名は昔と今をつなぐバトンのようですね。
本日はそんなことを考えながら、近所の地域ブログをお届けしました。
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